昨年末で勤めていた会社をやめて、この1月はゆっくりしようときめているわけです。
まあ家にいるので、束の間の専業主婦なるものをやってはみているのですが、結構これが暇なんですね。もともと、結婚する前から転職しても仕事を切らしたことがなかったですし、それは結婚してももちろんで、辞めるという選択肢は私の中でなかったのですよ。
森的信条として『働かざる者食うべからず』があるのですな。
誤解なきよう書きますが、別に専業主婦が働いていないと言っているわけではまったくないです。勘違いしないで。
専業主婦も、立派なというかちゃんとした職業です。めっちゃ働いてまくってる。
そうでなくて、私は自分で自由になるお金が切れるというのが嫌なだけというか、外で働くのが好きというか、そういうことです。単純にね。
専業主婦が嫌だとかではなくて、家にこもるのが嫌だったんですね。
それに子供も出来ませんでしたし。これが一番大きいのだと思いますが、こればっかりは、ね。
そりゃあ、子供の1人や2人できていれば話は違ったと思うのですが、何のイタズラかイジワルかわかりませんが未だにできないでいるので、ずっと働いてました。
昨年ダンナの都合で東京から大阪に引っ越してきたのですが、それでも大阪で仕事見つけて働いてましたよ。どんだけー。苦笑。
でも流石に身体は環境の変化についてイケズ、ダウン。取り合えず辞めてみたのですが、ナニセ初めての経験で、時間を持て余してます。
で、必然的に趣味に走るわけで、今まで片手間だったことやために溜めてた本を処理してるわけですが、BLに出戻ってからの私は色々とアンテナがビンビンなわけですよ。
で、ある本を読んでいたらこんな言葉がでてきたんですね。
―男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。そしてまた、男は女を愛するが、それは遊びのなかで最も危険なものであるからだ―これはかの有名なドイツの
哲学者・ニーチェの言葉なんですが、今の私にはなんとも不自然な感じに見受けられるわけですよ。
前文はふむふむ、そうだすなと、でもその逆も然りで女にも言えるよなと思いつつもギリ納得したりするのですが、後文はどうなのかなと。
男の好きなものは危険と遊び。それを兼ね備えているから女を愛する。
…普通すぎないか?とか思ったりするんですよね。
だってそもそも、男女間の恋愛というものは一応倫理的には当たり前のことであって、それはアダムとイヴの時代から始まってるのだから、それをあえてこんな言葉にまとめても綺麗すぎやしないかと、腐女子回路がフル回転するのです(笑。
危険と遊び。
まあこれが対男だったらどうなのよともおもうけど、危険はまあ危険よ、男が男を愛するだけでデンジャラスよと思うけど、ここで『遊び』がくっつくと、なんだか切なくなっちゃうんだよなあと。
これはなんでだろうと思うのですね。相手が対女ならそこまで思わない。っていうか、そうだよなと頷ける。
それこそ、かの昔からのアダムとイヴの話であって、そういう役回りを女はしてきてるってことなんですよ。
いつの時代も最後に泣くのは、女と相場が決まっているのですな。悲しいけれど。
なのでニーチェのいう「遊び」という言葉にも、特に反感はもつけれど反発はしない。
けれど、「最も」ではないんじゃないのだろうかと思う。「最も」危険というなれば、それは対女ではないだろうと。
ピピンっとアンテナが動いて考える。ここで「最も」危険とつくべきは、対男だろう?
そうだよ、これが対男となるとどうだろう。
よく考えてみれば、男が男を愛した時点でそれはもう世間一般的からみれば倫理に反している。男が男を愛そうとした時点ですでに「危険」であって、愛したときにはそれ以上の何かを背負うことになる。
それは神に反する背徳的なことであって、所謂「命がけ」というか身投げ的なものなのだと考えると、そんな行為に果たして「遊び」なんて要素をつけていいのだろうかと思うのです。
もちろん、人間が人間を愛することになんら疑問もありませんし偏見もないけれど、悲しいかな、この世の中には『常識』という枠が存在していて、それを逸脱する行為をよしとしない傾向があることは否めない。
となると、やはり「遊び」というワードはどうなんだと思ったりするのですよ。
それじゃあ、あんまりにも切ないだろうと。
そこまで妄想してハタと気が付く。そうか、BLがBLであるのはあくまでもファンタジーだからなのかと思い到る。
ニーチェのいう「危険」と「遊び」という範疇の中だけで成立する「BLファンタジー」だからこそ、ここまで広く受け入れられたのだと思えば、ある種の納得がいくような気がするのですね。
そこで思い出すのが「
窮鼠はチーズの夢を見る」ですが、これは違った。ファンタジーではない、それこそニーチェ哲学を大きく逸脱したリアルな話だった。
確かに評価は高かったけれど、それはファンタジーという枠でなく、ノンフィクションに近い臨場感を作り出した作者と作品の評価によるものだと思うのです。この作品は決して今いうBLファンタジーではないのですね。
だからこそ、読了後は痛かったし、女として恐怖を感じた。
ここで恐怖を感じるというのは、男女の恋愛には「遊び」がついても納得するのに、同性だと切ないと感じてしまう、その根本的な心情に由来するのだと思うのだよね。
ここまで書いておいて、結局何が言いたいんだろうとか思うのだが、要はニーチェの言葉を同性愛には通用しないぜ、ということなんだな。
がしかし、無論、BLファンタジーには通用しちゃいます。なにせファンタジーですから。
っていうか、でなきゃやってらんないし、読んでられないと思ったり(笑。
そこでBLファンタジーを哲学的に考えれば、ニーチェの後文は
―ゆえに、男が男を愛することは、それは恋愛という遊びのなかで「最も」危険なものであるからだ―こうすれば、至極納得いったりするのだから、もう私の脳みそは腐ってるな。
……すみませんね、早く言えば私が暇なだけなんです。
なんとなく話題になってるという理由だけで購入。
うーん。
デザイン会社に勤める秦野は仕事は出来るが冴えない上司・本城に「どうしたらモテルか」と相談を受ける。仕方なく改造計画を試みる秦野だが、フタをあけてみれば本城は滅茶苦茶いい男に変身!しかもからかうつもりでキスした秦野は、逆に真っ直ぐな本城の気持ちにトキメいてしまい…。タカツキノボル初コミックいよいよ登場。描き下ろし+読みきり2編も同時収録。私はまったくBLCDに興味がないのですが、どうやら巷ではかなり萌ているのですね。ふふ。
この作品もCDありきだそうで。納得っつっちゃあ、納得なのかな。
以下ネタばれあり↓
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