前回読んだものに引き続き、これもかなり水原本の中では好きですなあ。水原本なのでもちろんお約束のように、痛覚がガンガン刺激されます。でも!かなりちゃんとした(失礼!)恋愛になってんだよなあ。MAXシンドイ時の水原本に対して考えると、かなりソフトなあたりくち。
って思ってるのは、もしかしたら痛いのが慣れちゃって痛覚バカになってんのかしらん。
深夜の帰り道、突然目の前に飛び込んできた血塗れの男。内気な大学生の史也(ふみや)は、男を無視できず介抱するが、偶然男が隠し持つ拳銃を見つけてしまう。「バラしたら殺す」傲然と威圧するその男・鷲谷(わしたに)は、なんと対立組織に襲われた若き極道の組長だった!! しかも恩を仇で返すように「始末するには惜しい身体だ」と、史也を陵辱して!? 極道の男に刻まれる痛みと快楽―ハード・セクシャルLOVE。
ヤクザが出てくるってわかっちゃってる時点で、もうすでになんだか痛さに対して身構えてるんですけど(笑。ある意味パブロフの犬状態な水原本ですが、いやいやどうして、今回もかなり読みやすい部類に入りますよ〜
水原本の場合、確かにサディスティックな表現やバイオレンス要素が多いけど、ただその行為すべてにおいてそれなりの理由があり、その理由が必要なキャラ設定が非常に卓越してるよね。ただドビュドバと血が流出したり、ビシバシ殴られたページが多くても、その行為をしなければ表現できないような人格形成をもったキャラを無理なく登場させてる気がするのね。まあでも攻めがヤクザっていうだけで、その辺りはクリアになってしまうような気もしないでもないけどさ。
よくD・Vの被害者の心理状態でこういうのがあるでしょ?殴られたり暴力を振るわれても、そのあととても謝ってくれて大切にしてくれるから、この人を支えてあげられるのは私しかいない…とかなっちゃう人。ある意味これは「ストックホルム症候群」とかに近い心理状態になるんだろうけど、水原作品ではこれがなくてはバッドエンドしかないよねっていうくらい大きな柱になってると思うんだよな。極限まで追い詰められて痛めつけられると、どうしたってそれをあらゆる方法で回避したいと道を模索する。相手を憎むことで自分にされている行為もとてつもなく苦痛になるんだけど、逆に相手に好意を持つことによって、その暴力や酷い仕打ちが受け入れられる範囲になってきたりする。
今回はまさにそれに当てはまりそうなストーリーだったな。善人であるが故にした人助けによって、陵辱され愛人を強要され生活態度を監視されるようになる。少しでも反抗しようものならば、殴られ酷い抱かれ方をされる。これ、対女性だったら間違いなく受けが死を考えるような展開なんだけに、こういうシチュが苦手な私は正直余り触手が動かないかと冒頭部分では考えてた。でもそこがBLファンタジーの強みであり、この手の話が得意な水原本のすごさでもあるのよね。
見知らぬけが人を保護し、部屋に上げて治療を施す勇気はあるくせに、相手が極道モンってわかっただけでスイッチが入ったように拒絶する勇気は消えてなくなっちゃう史也の心理状態が、なんだかやけにリアルでやたら人間臭い部分として叩きつけられて遣る瀬無くなる。鷲谷にしたって、当初の理不尽身勝手でまさに暴力による支配でのみ成り立っている極道者というレッテルが、史也に固執する理由が徐々にこちらに伝わり始めると、薄っぺらい人格にしか見えなかったのに、いつのまにやら優しさに不器用で寂しい孤高の男として形を表してくる。
こういかにも「人は見かけによらないよ」という発想はまさに魔法の言葉で、とみにこういう極道的なものが絡んでくる話の中では絶対的地位を持って使用されるし、使用されなきゃ困るって話よ。まあ困るんだけど、これをあまりこれ見よがしに入れ込まれると、すっごい人格不審に陥るんだけど、こと水原本に関してはそんな心配は皆無なわけよ。確かにちゃんとラストはハッピー的なエンドを迎えるのだから、この発想が用いられてるんだけど、決して180度見方が変わるような展開にはしないでくれている。だからこそ、毎回水原本のラストを読むと「これで本当にいいのかなあ」と、なんだか居た堪れないような気持ちが湧いて出てくるんだよね。まあ結局2人さえよければいいんだね!って世界なんだけどさ。
極道云々っていうよりも、私は史也が途中余りにも煮え切らない態度をするもんだから、こっちの手が上がりそうになった(笑。 最終的に自ら腰振るんだったら、さっさと認めろっつうの!!でも面白かったよ〜私は好きだったな、こういうベタな展開(笑。
いやでもこの水原本は読みやすい。「
小夜時雨の宿」に匹敵するくらいだよ。まああれよりも血がドビュっと出て、ボコボコにされて史也が粗相もたくさんしてるけど。でも、鷲谷が大学で哲学専攻だったっていう件は、ちょっと笑えた。腐腐。

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